完全不定期! おっさんのつれづれ草

名もなく 地位なく 姿なき おっさんの繰り言

日本ハム新球場に思う

どうも、おっさんです。

 

2023年シーズンより、プロ野球北海道日本ハムファイターズは新しい本拠地球場、エスコンフィールドHOKKAIDO(北広島市)をオープンさせます。

斬新なアイデアをふんだんに盛り込んだボールパークでどんな戦いが繰り広げられるのか、今から楽しみですね。

…と思っていたところに降って湧いた、例の騒動。

 

簡単に振り返ると、新球場のホームベースからバックネットまでの距離が公認野球規則で定められている約18メートルに足りない、約15メートルしかないことが、ほぼ完成寸前の状態になって問題化したのです。

 

いろいろ疑問はあります。

・この距離は着工段階から新球場の「売り」としてアピールされていたのに、なぜ今になって?

・この距離は、アメリカのOfficial Baseball Rulesでは推奨を意味する「recommend」となっているのに、それを和訳したとされる日本の公認野球規則では「必要とする」となっているのはなぜか?

・設計を担当したのはメジャーリーグの球場を設計した実績があるアメリカの会社とのことだが、日本側のチェックはどうだったのか?

 

これらの疑問ともかく、我々素人が率直に感じたのはこうですね。

・こんなビッグプロジェクトなのに、こんなにずさんなのか?

 

メジャーリーグでは、この基準を満たすのは30ある本拠地球場のうち数球場にとどまるそうで、それによる支障もないそうです。

だったら今回はルール違反を追認する形にはなるけど、公認野球規則をアメリカに合わせる内容に改正すればいい。

とする声も上がりましたが、ここで問題をややこしくしたのが広島東洋カープの本拠地球場、Mazda ZoomーZoom Stadium広島(マツダスタジアム広島市)建設時の経緯です。

 

マツダスタジアムは設計段階で今回同様の問題が見つかり、設計をやり直したといいます。この事実がある以上、今回無条件で追認してしまうと「不公平」とのそしりは免れませんね(ただし今回、広島球団がその旨の主張をしたのかどうかは不明です)。

 

また日米の文言の違いについて、「誤訳なんだから原文に従うべき」とする声もありましたが、これもおかしい。

これがまかり通るなら、日本の公認野球規則が存在する意味がありませんね。また、誤訳なのか、何らかの理由があって意図的にしたことなのかは、翻訳の過程を精査しないとわからないことです。

 

本来ならルール違反を是正し、ルール改正は別問題として話し合うことです。

ですが、今からでは2023年開幕までの改修は時間的に難しい。

結局、プロ野球12球団で話し合った結果、日本ハム球団が手続き上の不備を陳謝した上で、2023年シーズンは現状で試合を行い、2024、25年の2シーズンのオフに改修工事をする、ということで一応の決着を見ました。

 

ここからは私の個人的な予想です。

 

アメリカでの実情を見る限り、この距離が15メートルでもまず、支障はない。

そこで、毎年1月に開かれている日本野球規則委員会で、おそらく該当部分は「必要」から「推奨」に改正されるでしょう。

だからといって改正前に建てられた球場には効力が及ばないのが本来ですが、来シーズン、新球場で無事に(?)試合が消化されていくうちに

「もういいよ。今度からは気をつけろよ」

という空気が醸成され、その通りの処分に落ち着くんじゃないでしょうか。

 

あるいは、現段階では絶対に口にできないことですが、今回の決着は「それ」含みかもしれない。私はそんな気もします。

 

今回の問題はネット上でも盛んに議論されましたが、私の感触では

「15メートルでも支障はないんだから、杓子定規なことを言うな」

という意見が多かったように感じます。

私もその気持ちはわからなくはありませんが、これは感情論だと思います。

今回、ルール違反が存在したことは事実。これを感情でうやむやにしては、世の中は無法地帯になってしまいます。

 

大切なのは筋道を通すこと。

日本ハム球団がミスを認めて謝罪し、是正することを約束。

この前提があって初めて、15メートルでも支障がない、アメリカの実情は、翻訳の経緯は、だったら多額の費用をかけて改修しなくても…という話が、繰り返しますが、ここで初めて、なされるべきだと思います。

 

思わぬところで話題になった新球場。

私も機会があれば訪れてみたいものです。

13番目のプロ野球団誕生か?

どうも、おっさんです。

 

長らく12球団制を維持してきた日本のプロ野球が、大きな転換期を迎えるかもしれません。

 

 以下引用

2軍に2球団追加構想 24年から、来春公募-プロ野球

 プロ野球のオーナー会議が24日、東京都内で開かれ、ファームのリーグ拡大構想に関する中間報告が承認された。  野球振興や裾野拡大を目的とし、2024年に2軍に新たな2球団を加える方向。今後、具体的なルールづくりを進める(以下略)。

(出典・時事通信社 2022年11月24日)

 引用終わり

 

詳細は今後決まっていくようですが、すでに静岡県を本拠地にするべく名乗りを上げている企業があるようです。

日本のプロ野球、NPBが現在の12球団制となったのは1958年。以降、経営母体の交代はあれど、今日まで続いてきました。あの揺れに揺れた2004年の球界再編騒動を経てなお、12球団制は維持されてきたのです。

パ・リーグ存続への願いを込めて歌われた連盟歌「白いボールのファンタジー」と、12球団団結の証のミサンガ。懐かしいですね。

 

報道によると、今回の新球団は2軍のみで、NPBへの「加盟」ではなく「参加」とのこと。加盟金30億円の負担は大幅に減る見通しです。

 

現在、NPBの2軍はイースタン7球団、ウエスタン5球団と両リーグとも奇数での構成となっており、日程上、どうしても試合が休みの球団が出てくる。そこで各リーグに1球団ずつ追加し、偶数での運営にするという意図はわかります。

 

そこで、仮にこの新球団が発足したらどうなるのでしょう?

ドラフト会議には不参加の見込みで、となるとドラフトの指名から漏れた選手、あるいはNPBから戦力外となった選手で構成するしかありません。

また、1軍がないわけですから、昇格とはすなわち既存球団へのトレードでしょうか。となると、この新球団を経由することでドラフトの抜け穴となる。

NPBに所属する選手は外国人選手を除き、原則としてドラフトを経ないといけない決まりですから、これはまずい。そうすると、新球団から既存球団に移籍する際には、元NPB選手でない限りドラフト指名が必要となるでしょう。

 

何のことはない、これでは現状の独立リーグと何も変わらないことになります。

現状でもNPB球団の2軍や3軍と独立リーグとの交流戦が行われているし、広島などは2軍が社会人野球のトーナメントに参加しています。

 

私の感想では、NPB球団と日常的に対戦できる新たな独立リーグの球団ができる。そんな感じでしょうか。

むろん、今後決まっていく詳細を待たないと何とも言えない部分は大きいですが。

 

そして、この新球団が軌道に乗ったとします。

すると、「1軍にも参加したい」となるのは自然な流れでしょう。

それには30億円の加盟金、巨額な負担に耐えられる経営母体、恒久的なプロスポーツ興行が可能な経済圏など、あまりにも高いハードルを越えなければなりません。

 

今の日本で、それは可能でしょうか?

セントラル、パシフィックの2リーグ制を維持するなら、各リーグの球団数を偶数にすると全体の球団数は4の倍数にならざるを得ません。

では各8球団ずつの16球団?まさか20球団はないでしょう。

現在の日本の人口、地理的条件、経済状況を考えると、素人考えではありますが否定的な答えしか浮かびません。

 

また、4球団増えるとしたら、単純計算ですが“プロ野球選手”が280人、1軍選手は116人が日本に新たに誕生することになります。

どこから連れてくるのか?これまでなら通用しないレベルの選手も多く含まれるでしょう。

全体のレベルがどれだけ下がるか。魅力あるプレーを提供できなくなっては本末転倒と言わざるを得ません。

 

近年、減少が叫ばれる野球人口を回復し、すそ野を広げる。

その意気込みは非常に素晴らしいと思いますが、私は今回の新球団構想は、なし崩し的に尻すぼみに終わる可能性が高いと、現時点では思います。

 

私もプロ野球ファンの一人です。

この浅はかな予想を笑い飛ばせる、そんな未来がくればいいと願います。

 

奇跡の名曲! ドリーム&パワー

どうも、おっさんです。

今回は今では耳にする機会が少なくなってしまった一曲をご紹介します。

その名は「ドリーム&パワー」。

今は亡きプロ野球チーム、大阪近鉄バファローズのオフィシャル応援歌です。

「ドリーム&パワー」が収録された唯一のCD。高橋元太郎さん歌唱の「近鉄バファローズの歌」「炎えろ!近鉄バファローズ」も。超貴重な一枚。

大阪近鉄バファローズ。あまりにも魅力あふれるこの球団は、皆さんご承知の通り2004年の球界再編でオリックス・ブルーウェーブに吸収合併され、消滅しました。

低迷が続いたかと思うと、思わぬ爆発力で優勝してみせる。その時のお祭りさながらの雰囲気は他球団ファンとしても心踊らされたものです。

1988年の10.19。その翌年に優勝をもぎ取ったブライアントの4連発。球史に残る名場面ですね。

そして忘れてはならないのが2001年。北川博敏選手の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン。

当時私はテレビ中継を見ていましたが、こんな野球漫画ですら恥ずかしくて書けないような筋書きが現実に起きたことを、にわかに信じられませんでした。

 

さて、今回のテーマである「ドリーム&パワー」は、それまでのオフィシャル応援歌「炎(も)えろ!近鉄バファローズ」に代わって登場した曲です。

 

「炎えろ!~」もはっきり言って名曲です。軍歌調(?)の力強い曲調は猛牛軍団にぴったりで、特に“うっかり八兵衛”こと高橋元太郎さん歌唱のバージョンは最高としか言いようがありません。

 

「ドリーム&パワー」は一転、ポップな雰囲気は今風といえますが、JUNさんの力を振り絞るような歌唱はやはり猛牛軍団のイメージ通りですね。

 

この曲が世に出たのはくだんの北川選手の奇跡の一発が出た2001年シーズンの開幕前。

以下は曲間の合いの手ですが、

バファローズ ドリーム

バファローズ パワー

バファローズ ミラク

バファローズ ウィナー

オ・オ・サ・カ 近鉄バファローズ!!

これって、あの一発を予言していたかのようじゃありませんか。

 

聞くと誰もが元気になるこの名曲は、近鉄球団消滅に伴って耳にする機会はめっきりと少なくなりました。CDも廃盤となり、入手は困難と言わざるを得ません。今では合併球団であるオリックス・バファローズによる近鉄復刻イベントで時おり流される程度でしょうか。

 

昨今は福岡ソフトバンクホークスの「いざゆけ若鷹軍団」、横浜DeNAベイスターズの「熱き星たちよ」のように、球団の経営母体が変わっても親しまれた応援歌は歌詞の一部を修正して存続させる例が出てきました。

「ドリーム&パワー」も、先述の

オ・オ・サ・カ 近鉄バファローズ!!

の部分を、例えば

ソ・レ・ユ・ケ オリックスバファローズ!!

などのようにして歌い継いでいけないものでしょうか。

 

球団消滅とともに球史の彼方に消え去ってしまうにはあまりにも惜しい一曲だと思う次第ですが、いかが思われますか?

おっさんの日本語教室

どうも、おっさんです。

以前、食品などの宅配をしていた頃のお話です。

 

毎週決まった曜日にお客様のお宅を訪問して受注した品物を届け、また次の注文をいただいていました。何の仕事だかほぼ見当がつくかも知れませんが、胸の内に納めておいてください。

 

そのうちのあるお宅は、ご主人がアメリカ出身の方でした。

何度か訪れるうち、あいさつのほかにも少しずつ会話をするようになります。

お互いに日本語と英語をチャンポンにして話が通じていたんですね。

 

ある日のことです。

例によってカタコトの英語で話しかけます。

「ユー、べーすぼーる、ドコガスキ?」

…ほぼ日本語のような気もしますが、

「オウ、ベースボール!ハンシンタイガースネ!」

「オー!タイガース!ミーはカープヒロシマカープね」

「オウ!カープ!ツヨイネー」

なぜかアメリカの人と話すとこちらまで話し方がオーバーになりますね。

 

そこでふと、思いつきました。

せっかくだから広島弁を教えてあげよう。

私ことおっさんは生まれも育ちも広島だったんですね。

 

「イングリッシュ、ミー。ジャパニーズ、ワタシ。ヒロシマ、ワシ」

ミー、ワタシ、ワシ、のところで自分の顔を指しました。

「オー、ワシ!」

「イエース、ワシ」

なんだか気に入ってもらえたようで、上機嫌でその日は別れました。

 

そして次の週。

ご主人、なにやらすごく嬉しそうでした。

一緒にいた奥様いわく、パソコンでチャットをする機会があり、「ワシ」を使ってみたんだそうです。

「そしたら相手がたまたま広島の人で、すごく盛り上がったんですよ!」

と、お二人でニコニコしながら話してくれました。

 

これを聞いて私まで嬉しくなりました。

が、嬉しい一方、引き続いての“広島弁講座”で「おどれ」「カバチ」などを、と思っていたのですが、喧嘩になっちゃいけないな、とやめることにした次第でした。

 

ちゃんちゃん。

大阪に電話できない?

どうも、おっさんです。

今回はスマホはおろか、携帯電話もほとんど普及していなかった頃のお話です。

 

電話というと固定電話しかなかった当時。新社会人として一人暮らしを始めるにあたり、「もう使わないからやるよ」と会社の先輩が電話機を譲ってくれました。ありがたかったですね。

 

それから数年。電話をかけるとき「あれ?」と感じることが増えてきて、ついには6番のボタンだけ、押しても反応しなくなってしまったのです。電話を逡巡するあまり「最後の5(ファイブ)が押せなかった…」という歌がありましたが、私の場合は6を(機能的に)押せなくなってしまったわけです。

 

困りました。これでは電話番号に6を含む相手には電話できません。市外局番が「06」の大阪府あては全滅ですね。

 

先輩に貰った時点で古い型だったので「仕方ないな。買い替えるか」と思ったのですが、ふと、ひらめきました。

「パソコンがあるじゃん!」

 

冒頭で述べましたようにスマホがない時代。インターネットにアクセスするにはパソコンを使うしかありませんでした。

それも今のようにWiFiや光回線ではありません。通常の電話回線で最寄りのプロバイダに接続していたのです。

そのため、当時のWindows98には電話をかける機能が含まれていました。

 

使い方はこうです。

電話とパソコンは同じ電話回線を使っています。そこで電話をかけたいときはパソコンを起動し、「電話アプリ」から電話をかけます。相手先につながったところで電話機の受話器を上げ、電話アプリを閉じます。これでいつものように電話機で話せるわけです。

 

どうです。

これなら他の番号のボタンがダメになっても大丈夫!

「必要は発明の母」とはよく言ったものですね。

 

スマホタブレットでいつでもどこでもインターネットにアクセスできる現在。

ダイヤルアップ接続で「ピー、コロコロコロ、ジー」とプロバイダの反応を待っていた時代を、懐かしく思い出すおっさんでした。

覚えていますか、バントホームラン

どうも、おっさんです。

バントホームラン。

この言葉にピンときたあなた。私と同様、おっさんと呼ばれる世代ですね。

 

これは1987年にジャレコより発売されたファミコンの野球ゲーム、燃えろ!!プロ野球、通称燃えプロで起きるトンデモ現象のことです。

ゲーム中の強打者はバントしただけで、目が覚めるような弾丸ライナーのホームランを連発するというもの。YSCLUBの…面倒なので変換しますが、ヤクルトのホーナー、阪神のバース、ロッテの落合らがこのバントホームランを打つことができました。

 

当時、ファミコンの野球ゲームといえばナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)のファミスタことファミリースタジアムが定番でした。この牙城に立ち向かうべく登場した燃えプロ、まずゲーム画面が画期的でしたね。

バックネットからセンター方向への視点だったファミスタに対し、燃えプロはセンターからバックネットというテレビの野球中継さながら。ゲーム雑誌でこれを見たファミコンキッズたちは「なんてリアルなんだ!」と大興奮したものです。

 

当然、発売日にはファミコンショップに大行列。私も直行したのですが残念ながら売り切れで手に入れることができませんでした。

 

現在のゲームソフトと違ってファミコンカセットは製造に時間がかかるため、次の入荷まで数週間は待たなければなりません。

あーあ、と大変がっかりしていた私に数日後、幸運にも買うことができた同級生から声がかかりました。

「どうも自分には合わないみたいだ。安くするから買わないか?」

「買う買う!」

と即決。

帰宅後、ワクワクしながらファミコンを起動したものです。

 

さて実際にプレイしてみるとこの燃えプロ、一言でいうと「ムチャクチャ」。

バントホームラン以外にも、ストライクやボールの判定がデタラメ。その上、ファールやヒットを問わず、バットにボールが当たった次のボールはどこに投げてもストライクという謎仕様。つまり2ストライク目をファールで取ったら三振確定。

また、なぜか阪神の八木だけ異常に足が速く、鈍足のランナーがいるときに長打を打つと前のランナーを追い越してしまう。現実にこれをやると追い越したランナーはアウトなのに、何事もなかったようにゲームが進行する。

外野グラウンドがとにかく広く、守備に慣れないうちはすべてランニングホームランになる…などなど。

 

いいところももちろんあります。

「ストライク」「ボール」などのコールが実際に音声でされるのは、今では当たり前ですが当時としては画期的でしたね。ただし、無死満塁で三振したら「アホ」と言われるのはやりすぎだと思いますが(笑)。

またホームランや代打などの演出も凝っていて、「ファミスタとは違うものを作るんだ!」という意気込みは伝わってきました。

 

しかし、こうした演出も何度も見るとくどいだけ。かえって試合のテンポが悪くなってしまい、1試合にかかる時間はファミスタの倍以上だったと記憶しています。

一緒に遊んだ友人からは

「ごめん。ファミスタのほうがおもしろい…」

と恐縮しながら言われてしまいました。

 

こうしてみると、くだんの同級生はうまく損切りし、私はハズレをつかまされてしまったのでしょうか。

私はそうは思わないんですよ。

なぜなら、燃えプロはこのハチャメチャゆえに強烈なインパクトを残していて、我々の世代では今でも共通の体験として語り継がれています。

何十年も経った今でも、会ったばかりの人と

「昔、燃えプロってあったじゃん。ひどかったよなー、あれ」

「そうそう、バントホームランなんて初めて見たときには目が点になったよ」

と盛り上がれるんですね。

これもリアルタイムで体験していればこそです。

 

だからなんでも流行に飛びつくのがいい、とは言いませんが、その世代における共通体験を持っているというのも時にはいいものですね。

メガネが曇るからコンタクトにしよう→結婚

どうも、おっさんです。

私は少し前まで長いこと、コンタクトレンズを使っていました。

若いころに勤めていた職場が食品関係だったんですが、高温多湿の調理場と冷凍室や冷蔵室を頻繁に行き来しますと、そのたびにメガネが曇ってとても難儀していました。

 

これはたまらん、ということである日、眼科に行ってコンタクトレンズを試してみました。

「なんだ、これは!」

視力がよかったころに戻ったみたいで、感動したものです。

目の中に直接入れるものだからと、当時としては酸素透過率が最高クラスのものを奮発しました。

初めて目の中にレンズを入れたとき、とても目を開けられないという人もいるそうですが、私の場合はすんなりと慣れることができました。

 

いやー、コンタクトレンズ、快適でしたね。

ラーメンを食べても曇らないし、汗をかいてメガネがずり落ちたり、雨の日の水滴を気にすることもなくなりました。

ただ風が強い日は細かい砂粒やほこりが目に入って辛かったですが。

コンタクトレンズは風に弱い」

大リーグボール2号ですね、まるで。

 

さて、実際にメガネからコンタクトレンズに変えて出勤してみますと、冷凍室から調理室に行っても視界が真っ白にならないし、周囲の評判も上々。

女性の同僚の一人などは後で聞いたところによると

「これは好きなタイプの顔かも」

と思ったそうです。

それまでのメガネは丈夫さを優先した野暮ったい黒ぶちでしたから、ギャップが大きかったのでしょう。

 

…といいますと「昭和の少女漫画かよ」と思われるかもしれませんね。

ビン底メガネをはずしてみたら息をのむような美形だった、と言いたいところですが、実際は

「左門豊作がメガネを取っても花形満にはならないよね」

というのが実情でした。

 

それでもくだんの同僚にとってはどこか、ツボだったのかもしれません。

ま、そこからその人とお近づきになれたり、曲折があって、今ではウチの奥さんというわけです。

 

いかがですか?

ここまで読んで「さっそく眼科に行かねば」と思った諸氏諸嬢。

コンタクトレンズは非常に便利ですが、それで結婚できなくても当ブログとしては責任を負えませんので、ご了承くださいね。